「化学教育ジャーナル (CEJ)」第1巻1号(転載として受理)1997年10月30日
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


化学ソフトウェア学会・1997年度技術賞受賞記念講演要旨(年会要旨集および CEJ に収録)

化学教育データの可視化の試み

本 間 善 夫

〒950 新潟県新潟市海老ヶ瀬471 県立新潟女子短期大学生活科学科
e-mail: honma@muf.biglobe.ne.jp


1.はじめに
 視覚情報は,人間の情報入手経路として最大の比重を占めていると言われる。最近のテレビやパーソナルコンピュータ,インターネットの世界の例に見られるように,新しい技術の進展はめざましく,時間・空間(位置とスケール)の垣根を取り払い,さらにはシミュレーション等により不可視のものを可視化するなど,膨大な視覚情報を私たちに与えてくれている。
 化学の世界も例外ではなく,“物質”とその“変化”を扱う分野でもあることから,様々な現象を可視化する試みが進められており,その成果は教育にも活かされていくことが望まれる。例えば,物質を構成する原子・分子の構造とそのふるまいを考える上で多用される分子モデル図に代表されるように,もともと化学は視覚的要素が不可欠といえる。また,いろいろなスペクトル図に例示されるように,数値データを図化することからも,多大な情報を得てきている。
 寺野は,情報伝達手段を表現の正確さから,『数式,文字,言葉,芸術,態度,テレパシー』のように並べられるとしているが[1],この中には“図”が含まれていない。あるいは,例えば,数式は図にすることによって,その大まかな意味をより多くの人間に伝達することができるように,あげられた因子すべてに関わっているのかも知れない。
 “データの可視化”について,以上のような漠然とした考えを持って,今までにいくつかの化学教育用プログラムとデータ集を作成し,フリーウェアとして公開してきた。ここでその道筋を振り返り,化学のおもしろさを周知してもらうためにも,多くの研究者の協力による一層の視覚化教育の進展を期待したい。

2.化学教育データの可視化の試み
2.1 分子モデル
 ドルトンの原子説,アボガドロの分子説を経て,物質の構成単位を構造式などの分子式での表記が定着し,最近になって,より正確な分子像を示すために分子モデル図が多用されるようになった。ドルトンが用いた原子記号はグラフィカルなものであったが(酸素は○,炭素は●,など)[2],その後アルファベットによる元素記号に置き換わった経緯がある。これは主な情報媒体が紙という2次元であったことと印刷技術の制約なども一因と思われ,近年の印刷技術の進歩やパソコンの出現で,分子モデルによる表現が可能になったと見ることもできる。
 西本・今村が,『化学者が分子を考える場合には,まず(1)分子の形(分子模型で表現する三次元構造)を考え,(2)分子の性質(極性や磁気的性質,色など)と(3)分子の反応性を推定する』[3]と述べており,アトキンスが Pacifichem '95 の化学教育部門の講演で示した11件の概要の5番目に『分子はそれぞれ定まった形をしている』[4]と上げたことからも,分子の形を正確に表すことは極めて重要である。
 複雑な分子構造を解析・表現するために多くの分子関連プログラムが開発され,普及してきた[5]。早期に作られたモデリングソフトの1つが CAMD-I [6,7]であり,CAMD-I plus [8]はそれを改変したものである。主な変更点は,内部座標での分子データの入力を可能にしたこと,球棒モデルの原子球を空白またはタイリングでの区別を可能にしたことである(図1参照)。

図1 いろいろな分子モデル表示形式例:サッカリン(自作分子データ変換プログラム利用);【1】分子ソフト HyperChem(Hypercube社),【2】インターネットWWW上の分子表示 plug-in“ChemscapeChime”(MDL社),【3】CAMD-I plus(矢野・本間)

 分子のタイリング表示は,プリンタへのモノクロ出力や単色刷りの印刷物原稿への用途を考えた場合,原子の識別に有用な手段である。これは,ヨーロッパの紋章の色彩(識別性を高めるため,中間色は禁止された)を,印刷物などでは点と線の模様で置き換える工夫がなされていたこと[9]と,合い通ずるものがある。
 ただ,分子の認識の上で,多数の分子ソフト毎に異なる原子の配色が,化学の専門家以外にどのような影響を及ぼしているのか,懸念されるところである。
 なお,CAMD-I plus 形式の分子表示は,「表計算データCAI教材化プログラムSSCAI」(以下SSCAI)[10]にも転用し,化合物情報などテキストデータとの併記が簡便にできるようにしたほか,「CAIプログラム作成用サブルーチン集」(以下サブルーチン集)[11]により,自作BASICプログラム中でも容易に分子モデルを表示できるようにした。

2.2 2次元グラフ
 x軸に1つの変数,y軸にもう1つの変数をとり,2次元平面に様々な関係(関数曲線や散布図,相関図など)を描き出して,数値だけでは表現できない情報を呈示してくれる2次元グラフは,日常的にも頻繁に利用されている。パソコンの標準ツールとなっている表計算ソフトも,計算のみならずグラフ化できるところが利点であろう。
 実験データを解析するのを目的として,多項式近似曲線(1次〜n次)やスプライン曲線の描出,直線回帰式と相関係数算出,スプライン関数による補間等ができるプログラムを作成し,「実験データ処理パック」[12]に搭載した。SSCAIにもその機能を移植し,表計算シートから任意の組み合わせのデータについて,簡便にグラフ化・解析ができるようにした。「サブルーチン集」にも収録している。

2.3 3次元グラフ
 2次元グラフに1変数を追加し,立体的な3次元グラフにすることで,表現できるデータの幅が飛躍的に増大する。「虫ピングラフ」[13]の当初の開発意図は,物体色を数値で表すCIEL*a*b*表色系[14]で図示する場合,通常a*b* 平面(合わせて色相と彩度)とL*(明度)を別に表記していたものを[15],1つの図に表すことでデータの意味をより把握しやすくするためであった。ある文献に示されていたグラフ[16]に触発されて作成したものである。
 様々な3変数のデータを散布図にして描ける上に,偏回帰係数・重相関係数(説明変数は2)の算出と相関式での推算も可能で,幅広い用途が期待できる。
 図2上段に,3次元グラフの例を示す[17]。

図2 3次元グラフと紫外可視スペクトル図の表示例.データは,綿布をタマネギの皮で媒染したときの,媒染剤の種類による色彩変化を示したもの[17].
(上)CIEL*a*b*表色系でみた色彩の違い.
(下)反射スペクトルでみた色彩の違いと,色素主成分のクェルセチン分子モデル(SSCAIの表示画面例).

2.4 紫外可視スペクトル図
 化学では様々なスペクトル図を用いるが,吸光分析に用いるほか,身近な色とも関係する紫外可視スペクトルを,カラーで学べるようにするため,「紫外可視スペクトル学習プログラム」[18]を作成し,若干のデータ集を添付して公開した。
 可視部には,スペクトル色で着色して作図するため,カラーディスプレイ,カラープリンタ向きのプログラムとなっている。Planckの放射法則[19]から,任意の温度の黒体放射スペクトルを描く機能なども有する。SSCAI,「サブルーチン集」にもカラースペクトル表示機能を移植した。
 図2の下段は,SSCAIによるスペクトル図・分子モデル同時表示の画面例である。

2.5 有機概念図
 有機化学では,無数の有機化合物を,炭素鎖の骨格構造とそれに付随する官能基で分類して,その物性や反応性を論じる場合が多い。その有機化合物を,有機性と無機性という2つのファクターを用いて,1つのグラフ上にプロットし,いろいろな性質を推定する有機概念図という手法がある[20]。
 パソコンの計算機能とグラフィック機能を活かして,その利用を簡便にしたのが「パソコン有機概念図」[21]で,「実験データ処理パック」に収録し,SSCAIにも描画機能を持たせた。図3にその表示例を示す。
 なお現在は,同プログラムの移植により,表計算ソフトExcel(Microsoft社)上やインターネットのブラウザ上で有機概念図が計算できるようにしている[22]。

図3 有機概念図の例(SSCAI添付の「農薬事典」のデータから).農薬分類の補助線は,グラフィックツールで書き足した.

2.6 表計算データCAI教材化プログラム
 利用者の多い表計算データに着目し,以上の5つのプログラムの作図機能・データ解析機能を活かして,化学教育データの閲覧・解析等をできるようにしたのが「表計算データCAI教材化プログラムSSCAI 」[10]である。データを若干加工するだけで,簡便に閲覧・検索,任意の数値データの組み合わせについてグラフ化(2次元・3次元)・解析等ができ,分子データ(MODRAST形式)・紫外可視スペクトルデータがあれば,対応する図の同時表示も可能である。プログラムには,元素の性質や身近な物質の化学的性質など,化学教育用サンプルデータも多数添付して,利用者が直ちに教材として利用できるように配慮した。

3.おわりに
 実験データの解析と作図,学生に化学のおもしろさを知ってもらうための分子モデル等を利用する工夫,その2つの目的のもとに,いくつかのプログラムを作成し,公開してきた。N88BASICで管理できるグラフィック画面(640ドット×400ドット,4096色中16色)とテキスト画面(80桁×25行)の中に,どのような世界を描き出せるか,楽しみつつやってきたように思う。数値を与えることで,無数の画像を産み出し,多くのメッセージを伝えてくれる“プログラムの力”は素晴らしいと感じている。
 現在,プログラム・データ集は,化学ソフトウェア学会の無償利用ソフトウェアとしているほか,パソコン通信 NIFTY SERVEインターネット上で公開し,さらにインターネット上では,プログラムで作成した画像データ等を用いた化学教育のためのホームページ[23]を運営している。その過程で多くの方にお世話になっており,ここに記して謝意を表したい。
 また,CAMD-I の原作者・矢野米雄先生,プログラムの実行画面をカラープリントする常駐ツールを提供して下さった北村覚氏,多くのアドバイスを下さった化学ソフトウェア学会の諸先生,そしてプログラム作成・普及に協力してくれた本研究室出身のみなさんに,深く感謝するものである。

 文 献
1) 寺野寿郎,「あいまい工学のすすめ」,p.39,講談社ブルーバックス(1981)
2) 金子務・養老孟司,『形とはなにか −三木成夫を中心に』,現代思想,1992(11),p.40,哲学書房
3) 西本吉助・今村詮 編,「分子設計のための量子化学」,講談社サイエンティフィク(1989)
4) P.W.アトキンス・細矢治夫,『これからの化学 −何をどう教えるべきか−』,現代化学,1996(3),p.16,東京化学同人
5) 資料としては例えば,ソフトウェア頒布委員会編,「最新化学ソフトウェア集'96」,化学ソフトウェア学会(1996)
6) 山本(矢野)米雄・吉川研一,『分子の三次元表示』,現代化学,1983(10),p.40,東京化学同人
7) 山本(矢野)米雄,「実例パソコン 分子の組み立て」,講談社サイエンティフィク(1984)
8) 本間善夫,化学とソフトウェア,13(4),325(1991);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア 9208
9) 朝日新聞社編,「色の博物誌 −世界の色彩感覚−」,p.150,朝日新聞社(1986)
10) 本間善夫,J.Chem.Software4(1),p.11(1997);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア 9505
11) 本間善夫,J.Chem.Software2(1),17(1994)
12) 本間善夫,化学とソフトウェア,15(3),231(1993);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア 9310
13) 本間善夫,化学とソフトウェア,12(3),23(1990);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア 9234
14) 例えば,日本色彩学会編,「色彩科学ハンドブック」,東京大学出版会(1980)
15) 例えば,浅田宏子ほか,『植物色素の教材化(4) −日本アカネ−』,化学と教育,41(5),339(1993)
16) 大沢文夫・鈴木良次,「個性の生物学」,p.178,講談社ブルーバックス(1978)
17) データ引用は,高岡昭ほか,衣生活研究,1989(9),p.24;スペクトル図は,自作「グラフデータ読み取りプログラム」(「実験データ処理パック」に収録)で作成.
18) 本間善夫,J.Chem.Software1(3/4),187(1993);「実験データ処理パック」に収録
19) 例えば,R.A.Alberty著,妹尾学・黒田春雄訳,「アルバーティ 物理化学(上)」,p.342,東京化学同人(1991)
20) 例えば,甲田善生,「有機概念図 ―基礎と応用―」,三共出版(1984)
21) 本間善夫,化学とソフトウェア,12(2),224(1990);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア9103(現在は「実験データ処理パック」に収録)
22) 本間善夫・田中直子,化学ソフトウェア学会'97研究討論会講演要旨集,講演番号205(1997)
23) 本間善夫,ホームページ『生活環境化学の部屋』,プロバイダ版=http://www2d.biglobe.ne.jp/~chem_env/home.html/SINET 版=http://www.nicol.ac.jp/~honma/home.html


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