シンポジウム「暮らしの中の化学工学」(化学工学会新潟大会,1995.07.27-28) /講演要旨

衣服内気候の熱・エネルギー移動と収支

県立新潟女子短期大学  本間 善夫

1. はじめに

 化学のおもしろさの一つは,物質や現象を解析して系統的に理解すること,さらにそれを応用に結びつけていくことにある。自然界の現象は,複数の機構が複雑に絡み合っているが,実験技術や計算機の進歩もあって,個々の機構が一層厳密に解析され,その結果をコンピュータで視覚的に把握できるようになってきた。現在,教育現場でもその成果を享受できるような環境整備が求められている。
 ここでは,広範な分野の単位を網羅した『単位の辞典』1)に載っている,衣服の保温性の目安となる“clo”値を例として取り上げ,衣服内の温熱環境にはどのような機構が関与しているかを考察し,それらの一部をパーソナルコンピュータでシミュレートする教材を作成する試みや,フリーソフトウェアの利用について紹介する。

2. 衣服内気候とclo値

 衣服の機能の一つに,様々な外環境の中で,人間の快適な活動を保障する働きがある。この働きを解析するためには「人体・衣服・環境」という複雑な系を扱う必要があり,いろいろな手法で研究がなされている2,3)
 その中で,衣と住の快適性の評価に広く用いられているのが,ASHRAE ( American Society of Heating Refrigerating and Air-conditioning Engineers ) で提唱しているclo値である。その定義は,『衣服の熱絶縁量(熱抵抗)の単位.湿度50%,風速10 cm/s,気温21.2℃の大気中で,椅子に腰かけて安静にしている白人標準男子産熱量 50 kcal h-1 m-2被服者が,平均皮膚温33℃の快適な状態を継続できるのに必要な被服の熱絶縁値を1 cloという』1,3)となっており,衣服内気候を扱うには極めて多くの機構・因子を考慮する必要のあることがわかる。熱抵抗という考え方は、電気の分野の電圧・電流・抵抗の関係を,温度差(人体皮膚温と外気温の差)・熱の流れ(皮膚表面から外界への)・熱抵抗(熱の流れを抑えるものとして衣服を考える)という関係に置き換えたもので,以下のように表される4,5)

注:1 cal = 4.184 J

      …(a)


ここで,TOTAL:総熱移動量, DRY:顕熱移動, EVAP:潜熱移動,s:人体皮膚表面温度の平均値(℃),a:皮膚および衣服の周囲の気温の平均値(℃), s:温度sにおける(皮膚表面の)飽和水蒸気圧(mmHg),a:[相対湿度 (分率)]×[温度aでの飽和水蒸気圧 (mmHg)], :人体表面のぬれている部分の分率,D:顕熱抵抗;全身が乾いた状態で皮膚表面から熱放射,伝導・対流によって外界へ熱が放散するときの熱抵抗(m2 ℃ W-1), E:潜熱抵抗;全身がぬれた状態で,皮膚表面の水分が水蒸気となって蒸発するときの外部への熱放散抵抗(m2 mmHg W-1),である。

   ※ (a)式は衣服に包まれた人体だけでなく,熱と水分を発散するあらゆる表面に適用される。

 この系で着衣特性はDEで表され,人体の生理特性に及ぼす影響は主としてTOTAL,心理特性に及ぼす影響はに代表される。特にDは着衣の保温力を表すものとしてよく用いられ,これは(a)式で=0,つまりTOTALDRY の場合と考えてもよい。
 DEは実際の人体実験または実物大のサーマルマネキンを用いて求めている。Dを人体で測定する場合は,次のような生物的熱方程式から間接的に求められる。

 

  ±( ± ) = ±               …(b)

 

ここで,M産熱量(O2消費量から求める), E蒸発による熱放散量(体重減少量から算出), R放射による熱交換, C伝導対流による熱交換, S蓄熱量つまり産熱と放熱がバランスしきれなかった量。

 (b)式でQDRYは()であるから(熱伝達は放射伝導対流のみ),(a)式よりDは,

 

 

             …(c)

 

として求められ,Dの単位は[u ℃ W-1]または[u ℃ h kcal-1]である。 Dを前述のclo単位に換算(1 clo = 0.155 m2 ℃ W-1 = 0.18 m2 ℃ h kcal-1 に相当)して全熱抵抗ITとすると,着衣の熱抵抗Icle(日本ではこれをIclと表記する場合が多い)は,ITから空気層の熱抵抗Ia(着衣表面から外界へ熱が放散する時の薄い空気膜の抵抗)を差し引いて以下のように算出される。

 

       …(d)

 

 

ここで, E′;体重減少量(g h-1),A:体表面積(m2W;体重(kg), ΔTre;直腸温降下度(℃ h-1),ΔTs;平均皮膚温降下度(℃ h-1)。なお,0.83.は人体の比熱[kcal kg-1-1]である。

 Ia は絶対温度で表した気温T(K)と風速V(cm s-1)から次式で計算する。

 

 

              …(e)

 

 

 

 (d)式は,人体では物理的,生理的誤差があって再現性に乏しいが,サーマルマネキンでの計測も加味して,生理的・心理的意味に拘泥しない手法として世界中で用いられている。ただしASHRAEでは,さらに着衣時の熱移動有効体表面積などを考慮したclの使用を提唱している。

3. 現象とデータの視覚化   《※追記:「化学教育データの可視化の試み」も参照》

 前節で,複雑な式を引用して衣服内気候を扱う難しさを概観したが,ここではいくつかの式と,関与している個々の現象(放射や蒸発による熱放散など)について,パソコンを利用してシミュレートしたり,計算結果をグラフ化するなどして視覚化し,学習者に各機構を直感的に理解してもらう試みについて述べよう。
 まず(d)のAに象徴されるように,生物の温熱環境や代謝を考える場合,体表面積が重要な因子で,これは最近話題になった書籍「ゾウの時間ネズミの時間」6)でも触れられ,絵本版7)でわかりやすく解説されている。複雑な現象を図説することは,今後のマルチメディアの発達ともあいまって,自然科学の分野でも盛んになると思われる。
 既報8)のclo値をパソコンで学ぶプログラムでは,身長・体重の入力で体表面積と基礎代謝量を算出してグラフ化できるようにし(図2),さらに画面に示される衣類を自由に着脱して重ね着のclo値を計算3)して適正作業を表示するようにした(図3)。より多くの衣類のclo値の蓄積があれば,さらに充実可能であろう。なお,同プログラムでの体表面積算出式3)のうち,例えばDuBoisの式は以下の通りで,他の相関式も同形の式で係数のみ異なっている。

 

 A = 0.007184 × H 0.725 × W 0.425                 …(f)

 

図2 身長と体重の入力による基礎代謝量算出・グラフ化の例

図3 clo値算出プログラムでの衣服選択中の画面(上)と結果表示の例(下)

 このような簡単なシミュレーションでも,繰り返し試して各自の着衣経験と照応することにより,clo値の数値的意味の理解が深まり,延いては(d)式や衣服環境そのものへの興味の喚起も可能になると考える。
 (b)式は,産熱と放熱のバランスがとれていれば蓄熱量が0になることを示しており,時々刻々のバランスや,1日の中で各人のとっている生活形態(仕事・運動や食事)の評価なども重要である。最近のパソコン通信の発展で,栄養計算など,これらに関するフリーソフトウェアやシェアウェアも多数開発・公開されている9)
 また,熱伝導や対流などの個々の現象をシミュレートして,パソコン画面にアニメーションで呈示するようなプログラムもいろいろ作成されている10〜12)
 放射については,Planckの式から任意の温度の黒体放射スペクトルを描くプログラム13)を作成して公開した(『実験データ処理パック』14)に搭載)。太陽の表面温度である6000Kを入力すれば極大波長が可視部になり(
図4参照),体温付近の温度では同じく赤外部になることがわかり,熱放射について学ぶことができる。なお,同プログラムには文献に掲載されている可視スペクトルデータを多数添付しており,可視部はスペクトルでカラー表示するので,スペクトルの概念の把握に役立つと考える。

図4 黒体放射曲線の計算・表示例

 パソコンの表計算ソフトウェアの普及で,様々な科学計算が簡便にできるようになり,例えば(e)式のような計算も容易にできるようになったが,パソコンのカラーグラフィック機能を活かしたソフトウェアの増加にも期待したい。
 
図5図615)は,「表計算データCAI教材化プログラム」SSCAI 16)の表示例である。表計算データを順次閲覧・検索したり,数値データを2次元または3次元グラフ化して簡単な解析ができるほか,分子モデルデータがある場合は同時表示も可能である。添付している化学教育用のサンプルデータの中には,衣服環境に関連する事象の文献データも若干入っており,グラフ化してその意味を概観できるようになっている。電子情報は,情報共有や視覚化などの加工性の高さなど極めて大きい利点を持つと考えられ,今後もデータを追加し,化学のおもしろさを知ってもらうツールの一つにして行きたい。

図5 SSCAI による飽和水蒸気圧データの2次元グラフ化と推算(蒸発潜熱データも添付)

図6 SSCAI による織物の含気率と厚さからの保温性の重回帰分析の例

 

参考文献     ※ 発表者作成のプログラムの開発言語は何れも N88BASIC である。

1) 小泉袈裟勝監修,「単位の辞典(改訂4版)」,p.97, ラテイス(1981)
2) 最近の総説は例えば,『衣服の快適性・健康』,日本繊維製品消費科学会,36(1),12(1995)
3) テキストについては例えば,中嶋美智子・吉田敬一,「新しい衣服衛生」,南江堂(1990)
4) A.P.Gagge, Am. J. Physiol., 131, 92(1940)
5) A.H.Woodcock,Text. Res.J., 32, 719(1962)
6) 本川達雄,「ゾウの時間ネズミの時間」,中公新書(1992)
7) 本川達雄 文,あべ弘士 絵,「絵とき ゾウの時間ネズミの時間」,福音館書店(1993)
8) 本間善夫,丸山直子,県立新潟女子短期大学紀要,第29集,p.55(1992)
9) 例えば,菅野正道,シェアウェア「肥満・糖尿の食事・運動」,NIFTY/FWINF/LIB 2/#14
10) 神原武志,「パソコンで遊ぶ物理シミュレーション」,講談社ブルーバックス(1992)
11) 矢部孝ほか,「シミュレーション物理入門」,朝倉書店(1989)
12) 蔵田憲次・岡田益己,「パソコン 環境工学入門 増訂版」,サイエンスハウス(1984)
13) 本間善夫,J. Chem. Software1,187(1993)
14) 本間善夫,化学とソフトウェア,15,231(1993);化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア 9310
15) データ引用は,石川欣造他,「例題を中心とした消費科学のためのデータ解析法」,p.107(1978)
16) 本間善夫,化学ソフトウェア学会登録ソフトウェア9505;フリーソフトウェア,NIFTY/FCHEM
 (化学の広場)/LIB 3/#28(システム)& #29(化学教育用データ集)


図によるcloについての簡単な説明


図2,3を描いたプログラム“CLO.BAS”(N88BASIC版,lzh形式)のダウンロード
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【注】NEC PC-9801/9821 シリーズでのみ試用可能.別途 N88BASIC.EXE が必要です.